誰かのために歩く
 彼は専門学校を卒業し、社会人になるにあたって自信が持てないという理由で歩き遍路の旅に出ました。一人で歩き続ける道のりは、彼の想像以上につらく苦しいものでした。
 そんな彼にとって忘れられない出来事となったのが、宮城県から来たある女性との出会いです。彼女と会話をする中で、ある一言が彼の胸に突き刺さりました。
「私の息子は今頃、ハワイ辺りの海にいるのかな」
 彼女の息子さんは、東日本大震災に伴う津波で流され、帰ってこなかったのです。諦めたように笑いながら話す女性に、彼はかける言葉もありませんでした。
 彼女に何もしてあげられない自分の無力さに打ちひしがれ、翌朝黙って出発しようとしていた彼をその女性が呼び止めました。
 「あんた、頑張りよ!」
そう言って彼女が勢いよく何かを彼に握らせました。何かと思って見てみると、一枚の五千円札でした。震災による傷が未だ癒えない中、自分のことを気遣ってくれる彼女に力をもらい、彼は残りの道を歩き終えました。
 彼が巡礼を終えたその足で向かったのは、宮城県の女性が暮らす仮設住宅です。時間の都合で数ヶ所の札所しか回れなかった彼女に代わって、彼は八十八ヶ所すべての納経を集めてプレゼントしたのです。彼女はにやっと笑って、
「よくやった」 と言ってくれました。自分にも彼女を笑顔にすることができた。その事実が、彼に揺るぎのない自信をもたらしてくれたのです。相手に喜んでもらうために自分ができることを考え、実行すること。それこそが自分の喜びになると気付いた彼は今、お年寄りのために老健施設で働いています。
 ちなみに、あの時もらった五千円札は使わずに、今でも大切に持っているそうです。

 出会いが人を変え、運命を変える。不安な時こそ、自分ではなく誰かのために行動してみよう。思いもよらなかった力が湧いてくるから。




© 2016 四国遍路友の会